すでに他サイト様で発見されている浮遊選鉱所の遺構(?)を訪れるという企みですが、今回は失敗に終わりました。
HITACHIというメーカーを知っている人は多くいても、日立鉱山を知っている人はそれより少ないかと思います。
茨城県日立市は1900年代始めより日立鉱山で栄えて、今に至ります。
そして途中から日立鉱山は元気を無くして閉山するんですが、そのときの遺構は目につくものはだいたい取り壊されており、殆ど残っておりません。
病院、劇場、住宅、学校、いろいろありました。
しかしボコスカ取り壊されて、現在は道路に面した場所からだと住宅の土台や階段が確認できる程度です。


でもまだ実は残っていて、それは道路から一歩森の中に足を踏み入れて自分で探す必要があるのですが、確かにあるのです。
(鉱山が元気なときは一帯の山はハゲてしまい見通しが良かったみたいですが、現在は緑が茂っていて遺構の見つけにくさに拍車をかけています。)
なお、事前調査は
Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る
地図・空中写真閲覧サービス | 国土地理院
を利用しました。
1つめのサイトは閲覧がしやすいです。2つめの国土地理院のサービスの方は、より高解像度まで見られるのでおすすめです。
見る地図は、1975年のものがおすすめです。日立の山あいまではっきり写っている古い写真は他の年度には無いみたいです。
1.遺構を求めて彷徨う
さて本題の浮遊選鉱所ですが、Googleの写真地図ではこのあたり。
国土地理院の航空写真(1975)ではこのように。

アクセスが容易な場所にある廃墟は訪れる人が多く、危険なためさっさと取り壊されてしまいがちですが、ここは道路側から全く見ることができないため取り壊しも遅れているのだと思います。
図にある予定ルートでアプローチします。
しかしスマフォが道中、圏外になったゆえに迷子になり、奥の方まで進んでしまいました。
移動軌跡を地図に重ねるとこんな感じです

1975の航空写真に重ねるとこんな感じ。
後述の、最後のポイントIで道に迷ったのは、そこで道が終わっていたからかもしれません。1975年の航空写真で見ると円筒形の施設があるあたりで引き返したことになっているので。

いばらき解体新書さんが載せていた、地図を引用して説明させていただきますと、以下のようになります。

ポイントA
道路に面した場所にバイクをデポします。緑が多過ぎです。
ポイントB周辺
本山小学校へ向かう分岐点になっています。ちなみに本山小学校(赤沢山荘)は閉鎖されており、体育館だけが残っています。体育館に機械警備が設置されていたらいやだから、こっちには向かいません。
ポイントC
この分岐を右へ行くと目指している浮遊選鉱所の遺構、左へ行くと住宅跡地。ちなみに住宅跡地の一部は、2014年あたりに閉鎖されてしまいましたが、もとやま自然の村キャンプ場として利用されていました。
今回はスマフォが圏外になり地図を確認できず、右の道に気づかず左の道に間違って進んでしまいます。
以降はこの分岐の左の道を進んでいます。
なお書いていないけど最後にここにまた戻って来て、右の道に進めないか確かめましたが、ヤブが密に茂っていて今の季節での進行は諦めました。
ポイントD周辺
この辺はまだ軽トラやオフ車なら入って来れます。マックスコーヒー!!!
ポイントE付近?
たしかこの辺のはず。古い写真で見る通り、ここに分岐があります。でもどっちを向いて写真を撮ったか忘れたので、分岐の矢印が描けません。古い写真では分岐先(左側)にも建物がありますが、現在もあるかどうかは現地では確認していませんが、1975年の国土地理院の航空写真を見るとすでに何も無いように見えます。
ポイントF周辺。
ここで、今まで歩いて来た廃道と、もとやまキャンプ場の道路として使われていた道路が交差します。急に文明の香りの強い道になります。
しかし今はどちらも廃道ですね。キャンプ場も閉鎖したから。なおポイントFから左の建物への道はバリケードが塞いでいます。しかし今でも建物があるかは確認していません。1975年の航空写真を見ると既に何も無いように見えます。
ポイントG周辺
大きな土管や、建物の基礎があります。
スマフォが圏外で、地図をダウンロードできません。
迷いました。
戻るのも嫌なので前進します。
ポイントH?付近
この辺は位置がアバウトです...なぜなら上の参考写真では分岐があることになっていますが、私は発見できなかったので、どのへんなのか確証がもてないからです。(いちおう撮影した写真にはGPS情報が記録されていますが...)
なんか門があります。
碍子らしき陶器が落ちています。日鉱関係のものでしょうか。
ポイントI付近
下の写真の少し先で道を見失い、前進不能に。
地図でみるともう少しで円形の建物にたどり着いたはずなのですが、惜しかったですね。
国土地理院の航空写真(1975 ?)だとこの辺です
2.遺構は一旦諦めて、もとやま自然の村キャンプ場の跡地へ。
ポイントFの分岐に戻り、元・もとやま自然の村キャンプ場へ行きます。前も書いたけど2014年くらいに閉鎖されました。
ちなみにポイントFそばの広場はこんな感じ。
道は荒れ放題。
もとやまキャンプ場の本部周辺に来ました。
荒れてますね〜〜〜
ちなみに建物の類は全て撤去されたみたいです。茨城に廃墟を残しておくとヤンキーが荒らして行くからですかね?
もとやまキャンプ場の正規の出口に向かいます。
なんらかの遺構の基礎がいろいろあって楽しいです。
この辺は、1975の写真を見るとたくさん建物があったようです。
文明崩壊後の世界を想像しちゃいます。


出口にたどり着きました!

あとは一番最初の場所まで徒歩で戻ります。
道中にも、一見緑に覆われて何もなさそうな、元居住地と思われる跡をよく見て見るといろいろなものがあります。
倉庫みたいな何かとか


神社とか。昔の地図だと神社マークあるんだけどね



祠がぺしゃんこでただの木にもどっちゃってます
3.やはり遺構を一目見たい!
実は日鉱記念館側からのアプローチが簡単だと思うのですが、柵があるのでやらない方が良いです。

反対側の小さい坂を登った先には気象観測装置と携帯電話のアンテナがたつエリアがあります。ここは少し小高いので浮遊選鉱所の遺構が見えるでしょう。

1975年ではここは中学校の校庭だったみたい?

この門は学校の門だったのかな?
その横の階段とかは体育館系の何か?
ここには廃車も置いてあり、テニスコートにも繋がっています。
しかし緑がすごすぎてテニスコートは入れませんでした。
写ってませんが「V6」エンブレムが付いていました。
いばらき解体新書様のコメント欄にてルーチェだと情報提供のある通り、マツダの5代目ルーチェですね。販売期間は1986-1991年だそうです。ナンバープレートの分類番号が2桁で、1999年以降は普通車は全部3桁になったそうなので、これはそれ以前に登録されたものですね。
(右がフェンス...のはずですか森にしか見えませんね)
ここからなら、浮遊選鉱所の遺構のアタマが見えるので、これで満足したことにして帰ります。
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